2010年5月11日火曜日

物理学者ニュートリノ研究・戸塚洋二先生追悼

戸塚洋二さんの事を、子供達に伝えたい。どうしてそれが自由にならないのか?


ノーベル賞と戸塚洋二先生ということから始まる。
しかし、連立方程式 ニュートリノ=カミオカンデ=戸塚洋二=富士山麓=日本=アメリカ=ノーベル賞=人類=宇宙には、『今ここ』という解が存在し、私たちは自分自身の現在地を探しだせたという状態にいます。

戸塚洋二さんは2008年7月10日66歳で癌のためお亡くなりなった。ニュートリノ研究でノーベル物理学賞で静岡県で初の受賞をされる筈の方でした。
私が、この方を知ろうとしているわけは次の事からです。
①静岡の子にとって、向学の精神の的になる。
②理科数学教育の重要性を説く契機となる。
③素粒子物理とニュートリノ天文学を学ぶ意義について感じる。
④戸塚洋二さんの人と人生を私は愛してしまった。
 
いまや事を始めたばかりです。
ともに考え行動する人々はいませんかね、まだそろっていません。

2010年5月7日金曜日

ブラザーピエールロバート(1931・10・3~2005・5・8)

  今日が、この方のご命日です。5回忌。
仏教の方では3と7を使うようで、3回忌7回忌13回忌17,23,27,33,37回忌・・・
20とか25,50,100なども場合によって混じるようです。
カトリックの方では、あまり法事日程はないようです。
お目出度い事では、結婚25周年,50周年,75周年,100,150,200・・
 5を基準にして私は、いま『アカデミック教育』の再構築の構想を打ちたてようとして、アカデミック元年とします。
この方は、教育修士会というカトリックミッションの修道士です。1956年に来日し、1969年静岡聖光学院創立時の校長で30年間校長職にあった。
彼のアカデミック教育における功績は次の2つにある。
①ふつうミッションスクールでは、徳育を最重要視する。しかし、先生は『知育は徳育に勝る』という価値観を持って、順位を明確に、知育→徳育→体育とし、現在多くの学校教育者が、矢印を逆転して学校運営に当たっているのとは対照的であった。
②ご自分が持っていた哲学を中核に置いた教養的知識の価値の重視以外は、教員(創立のメンバー)達の自由な創造的な、知育(向学心に溢れる教師自身であること。生徒の個性の発見のため本の紹介と個人的対話・自由研究活動への誘い・ゼミ活動を行いながら授業の個性的な展開,立志教育に当たって研究的精神と大学への夢の鼓舞)の教育を自由に任せた事。

2010年5月6日木曜日

数学とは何か?(ノーベル賞への道)

ノーベル賞への道と私がいうのは、私たちが生きた最高の証と考えるからです。
生きてこの世にあり、物の存在の秘儀を知りたいからです。
 衛星探査機『はやぶさ』が小惑星イトカワに2005年9月に接近(2年前に発射)、5年経ってこの6月13日に地球帰還を果たした。
太陽系の運動と歴史という角度から、その『物の存在の神秘を知る』ということに迫るのは愉快である。
 太陽ニュートリノを捉え、太陽のなぞ(何故太陽は無限と思われる莫大なエネルギーを放ち続けられるのか?)
を解く、ニュートリノ天文学はことに面白い。
 物の存在は、我々生きるものにとって、先ずは第一義的関心事である。
ノーベル物理学賞はノーベル賞の花であろう。
ノーベル賞に数学がないのを見て、ノーベル賞に程よい限界が有るのが分かって又愉快である。
というのは、物理よりもっと一般性の有る人間存在の形式があることが確かだからだ。
それは人間の持っている論理思考である。
物を発見し確証し理解し応用し一般化するのは、むき出しの実験だけではない。哲学であり、数学でありそれらを中核に持つ知識大系である。
 さて、それゆえ真理探究の、事始(教育)が数学教育にある、というのが私の立場なのです。

2010年5月5日水曜日

はじめ(2010・5・5小鹿にて)

Mod5で、今日は0年0月0日です。
Mod5とは、5で割った時のあまりで数えるということです。
あまり合理的ではありません。今年の10月が又0月とは!でも、勝手にやって行きます。

 読者は今私自身だけです。
このブログの目的は、読者に気合を入れることです。

『ノラクロ』というあだ名は小学校のとき僕につけられたもので、わが人生の一番いいもの
です。どうして一番いいのかな?
他のあだ名(後の時代)に比べて、僕の単純さを表して、はつらつとしていた僕を表しているから。勿論他の時代のも僕のもので、僕のいかがわしい?本質を表している事は分ってしまおうけれど。

腕白大将でありながら弱いものの面倒も見て、悪と戦うグループを作って行き、最後に突進するのは僕だけなのだ。
僕は総じてノラクロ漫画のとおりを夢にもって生きてきたのかしら?かも!

『アカデミア』の名については、これこそこのブログ環境を表すもので、今後具体的に展開されて明らかにされる。時代的には、静岡聖光学院創立のとき、その創立の理念を表したものです。
ノラクロとアカデミアの中学生っぽいロマンティックが、神の恩寵の元に若者をはぐくむ素地となるのか、ならないのかを、このブログは問うところです。