ノーベル賞への道と私がいうのは、私たちが生きた最高の証と考えるからです。
生きてこの世にあり、物の存在の秘儀を知りたいからです。
衛星探査機『はやぶさ』が小惑星イトカワに2005年9月に接近(2年前に発射)、5年経ってこの6月13日に地球帰還を果たした。
太陽系の運動と歴史という角度から、その『物の存在の神秘を知る』ということに迫るのは愉快である。
太陽ニュートリノを捉え、太陽のなぞ(何故太陽は無限と思われる莫大なエネルギーを放ち続けられるのか?)
を解く、ニュートリノ天文学はことに面白い。
物の存在は、我々生きるものにとって、先ずは第一義的関心事である。
ノーベル物理学賞はノーベル賞の花であろう。
ノーベル賞に数学がないのを見て、ノーベル賞に程よい限界が有るのが分かって又愉快である。
というのは、物理よりもっと一般性の有る人間存在の形式があることが確かだからだ。
それは人間の持っている論理思考である。
物を発見し確証し理解し応用し一般化するのは、むき出しの実験だけではない。哲学であり、数学でありそれらを中核に持つ知識大系である。
さて、それゆえ真理探究の、事始(教育)が数学教育にある、というのが私の立場なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。